Jason Fried Interview その1
インタビュー日付:2013年5月1日
元ネタ:http://thegreatdiscontent.com/jason-fried
About Jason
Jasonは37signalsの共同創設者の1人であり、現代表である。彼は、基本にこそ真の価値と美しさがあると信じている。37signalsの本は全てJasonが書いており、世界中で企業家精神、デザイン、マネージメント、ソフトウェアについて講演している。
“父は株式市場の投資家で、毎年家に年次レポートが届きました。昔からそれを見るのが好きで…その時まで、数字とテキストがデザインとしてこれほど美しいとは気付きもしませんでした。それに気が付いた瞬間からデザイナーになりたいと思いました….”
INTRODUCTION
この会社のウェブ・ベースのアプリを愛用している世界中の人の中では37signalsの話は広く知れ渡っているが、この会社37signalsの創設者の1人で、現代表のJason Friedについてはどうだろう?我々はこの度、jasonと話す機会を得ることができた。彼はアメリカ中西部出身で、37signalsまでの道のりを振り返ってもらった。Jasonは当初財政学の学位を取得する道を進んでいたが、ソフトウェアを開発することに対する関心が彼をウェブの世界に引き込み、後はご存じの通だ。これに加えて、初期のころに仕事の経験(務めていたころ)で彼はどのような会社が作りたくて、逆にどのような会社が嫌かを学んだ。
Jasonの歩んできた道、そして彼のビジネススタイルの根本である哲学に対する理解を深めるためにも是非このインタビューを読んで頂きたい。
Describe your path to what you’re doing now.
(現在までの道のりを話してください。)
全ては10-11歳のころから始まりました。父は株式市場の投資家で、毎年家に年次レポートが届きました。光沢のあるページだったり、写真つきのページがあったり、昔からそれを見るのが好きでした。その時まで、数字とテキストがデザインとしてこれほど美しいとは気付きもしませんでした。それに気が付いた瞬間からデザイナーになりたいと思いました。勿論その頃は具体的に何をデザインしたいかまでは考えていませんでした。ただ、物を美しく見せ、かつ有益にしたいと漠然と思っていました。
それからは、後の決断に大いに役に立った様々な仕事をしました。初めて働いたのは小さな個人経営の食料品店。そこのオーナー、マネジャー達と接することで、もちろんいい上司もいましたし、そうでない人もいました。どんな人の下で働きたいか、または一緒に働きたいかを良く考えるようになったのはこの時期です。その後は個人経営の靴屋さんで働きました。直属の上司には恵まれましたが、オーナーはとても疑い深い人で、従業員を全く信頼していない人でした。彼の下では働きたくないという思いが強かったです。
その後は、いくつかの大企業で働きました。その一つがSportmartという企業です。ここで働き始めて、だいぶ早い段階で大企業の官僚体質が嫌になってしまいました。このようないくつもの小さい経験が私の理想の会社像を創り上げていきます。どのような会社で働きたいか、どのような会社を作りたいか、どのような会社と思われたいか、今現在の私の考えは全てこの頃の経験からきています。
What was the rest of your path prior to 37signals?
(その後の道がどうのように37Signalsへと続いたのですか?)
1992年に財政学を勉強するためにUniversity of Arizonaに入学し、1996年に卒業しました。
とりあえず中西部から出たかったのが、アリゾナに行った主な理由です。もう一つは、高校では決して優秀な生徒ではなかったので、有名どころの大学には行けなかったのも事実です。
大学在学中に将来的には自分でビジネスをしたいという気持ちがでてきていました。学業と並行して、ソフトウェア作成はしていました。最初に作ったのはAudiofileという製品で、自分の音楽コレクションを整理するために作ったものです。これをAOL(American Online アメリカのパソコン通信業者)に20ドルで売り始めたら、お金を出して買ってくれる人が出てきました。この時に自分でやり方を学び、それを分配し、そこでお金が発生する流れに気付きました。何かを作ってビジネスにする発想はこの時実感しました。学生の間は学業と並行してこのようなことを続けていました。
1995年に初めてウェブのデザインを始めました。全く知識・経験のない0の状態から始めたので、自分の中ではかなり大きなことでした。まずはウェブサイトを詳細に分析し、HTMLの勉強をしました。そしてウェブをデザインしてほしいクライアント探しです。その頃には自分がウェブを好きだと確信しました。大学在学中もフリーランスでウェブデザインの仕事をするようになっていました。その時のクライアントの1人が、卒業したら雇いたいと誘われました。
大学は卒業して、財政学の学位は取得したものの、財政学関係の仕事には全く興味がもてず、その人の誘いを受け、ウェブデザイナーとしてSan Diego(California州)で働くことになりました。
しかし、早々に自分は人の下では働けないと気付き、結局3~4ヵ月でやめてしまいました。
もちろん人と働くことは大好きですか、自分のビジネスをやりたかったのです。
その後はChicagoにもどり、フリーランスのウェブデザイナーとしてやっていました。そこで出会った二人の男と1999年にウェブデザイン会社として37signalsを立ち上げました。
And after that?
(その後は?)
簡単に言いますと、ウェブサイトデザインの仕事で私たちはとても忙しくなり、全てのプロジェクトを管理できる方法が必要でした。管理を手助けしてくれるようなソフトウェアを探しましたが、私たちが求めていたものはありませんでした。なので、自分たちで作ることにしました。
最初は社内のみで使っていたのですが、そのうち私たちのクライアント数名とも使うようになったら、とても好評で、“これは商品化できるかも”と。少し修正を加え、Basecampと名付け、マーケットにだしました。1年後には、ウェブデザインの仕事よりビジネスになってきたため、ウェブデザインの仕事をストップし、2005年からはスフトウェア開発に専念することにしました。
これが現在までのざっくりとした、私の道のりです。
※【Jason Fried Interview その2】は来週金曜日(6月28日)アップ予定です。